南房総の源頼朝伝説を追え!(1)
こんにちは、南房総市和田町在住のあわみなこです。
2014年3月に東京都調布市から移住してきました。
私は小学生の頃、日本の歴史に興味があり将来は歴史の研究家になろうと思っていましたが、後に興味が薄れてしまいました。
今では記憶力まで弱まり、歴史といえば「泣くよ、うぐいす平安京(794年平安京遷都)」と「いい国作ろう、鎌倉幕府(1192年鎌倉幕府成立)」くらいしか思い出せません。
けれども遺跡や寺社などを訪ねて歴史の息吹を感じると、そこはかとなくロマンを感じ、良い気分になります。
これから少しずつ地元、南房総の史跡めぐりを楽しみたいと思っています。
今回は南房総市内の、源頼朝にまつわる伝説を追ってみます。
源頼朝が房総半島にいたのは2週間弱!
房総半島南部には源頼朝に因む伝説が多く残っています。
治承4年(1180年)以仁王(もちひとおう)の挙兵をきっかけに、日本各地で反平氏勢力が蜂起しました。
その中で源頼朝は石橋山での合戦(神奈川県小田原市)に破れ、真鶴岬(神奈川県足柄下郡真鶴町)から房総半島に渡りました。
最初の上陸地は鋸南町(きょなんまち)竜島。 現在、「源頼朝上陸地」と刻まれた記念碑が立っています。
また、鋸南町ではこの史実に因んで早咲きの河津桜を「頼朝桜」と呼び、毎年花が咲く季節には頼朝桜まつりを開催しています。
さて、歴史書「吾妻鏡(あづまかがみ)」によれば頼朝が房総半島にいたのは、その年の8月下旬から9月上旬の2週間弱。
ところが、いくら昔の人が健脚でも2週間弱ではそんなに駆け回れないでしょう、というくらい、安房群市(鋸南町・館山市・南房総市・鴨川市)には点々と頼朝伝説が残っています。
今回は南房総市内に絞ってみます。
南房総市内の頼朝伝説の地は6か所
南房総市に頼朝伝説が残る場所は6か所あります。
丸山町、白浜町、千倉町、和田町に渡るかなり広い範囲に、時を経ること840年。長い間偲ばれ続けてきたのですね。
(1)丸御厨(まるのみくりや)(丸本郷)
源義朝(頼朝の父)が生前に頼朝の成就祈願のために伊勢神宮に寄進した荘園です。
「吾妻鏡」にその時の頼朝の様子が描かれています。
(2)白浜町下立松原神社(しもたてまつばらじんじゃ)
頼朝が洲崎神社(※館山市内の神社)に参拝した後、ここで一晩過ごしたと伝えられています。
(3)頼朝の隠れ岩屋(白浜野島) 野島の弁天堂で武運再興を祈願しているときに降りはじめた雨をしのいだという岩屋があります。
(4)千倉町下立松原神社(しもたてまつばらじんじゃ) 頼朝が詣でて刀を奉納したと言われています。
(5)安馬谷(あんばや)
頼朝が(4)の下立松原神社に詣でたときに、鞍馬(鞍をおいた馬)を提供した人がおり、その人が住んでいた場所が安馬谷と呼ばれるようになったという言い伝えがあります。
(6)熊野神社・旗掛け松 (和田町黒岩) 頼朝が源氏再興を祈念して、松の木の枝に白旗を挙げた、という言い伝えがあります。
それぞれの場所をご紹介した南房総の源頼朝伝説を追え!(2)もご覧ください!