南房総の源頼朝伝説を追え!(2)

こんにちは、南房総市和田町在住のあわみなこです。

2014年3月に東京都調布市から移住してきました。

今回は南房総の源頼朝伝説を追え!(1)からの続きで、安房郡市に散らばる多くの源頼朝ゆかりの地のうち、南房総市内にある6か所をご案内します。

それでは南房総市内6か所の頼朝ゆかりの地をみていきましょう。

(1)丸御厨(丸本郷)

「吾妻鏡」によれば治承四年(1180)9月11日のこと。

頼朝は丸御厨(まるのみくりや)に立ち寄りました。

丸御厨は、頼朝の父である源義朝がその生前、頼朝の出世を願って伊勢神宮に寄進した荘園です。

頼朝は父、義朝もまた、その父親である為義から丸御厨を受け継いでいたことを知り、祖父や父の心を思い、涙を流したのでした。

そして自分の祈願である源氏再興が成就した暁には「安房国に新たに御厨を立てて伊勢神宮に寄進する」ことを誓いました。

丸御厨は、現在の南房総市丸本郷、安楽寺周辺であるとされています。

安楽寺は、このときの頼朝を案内した丸五郎信俊(まる・の・ごろう・のぶとし)の菩提寺です。

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安楽寺

(所在地)千葉県南房総市丸本郷518−1

(Webサイト)なし

(参考サイト)

安楽寺【丸氏の菩提寺】 房総タウン.com 

鎌倉遺構探索 丸氏菩提寺・安楽寺

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(2)白浜町下立松原神社(しもたてまつばらじんじゃ)

房総半島に渡った頼朝はまず洲崎神社に参拝した後、瀧口大明神で一晩過ごした、と「義経記」に記載されています。

この瀧口大明神が今の下立松原神社です。 洲崎神社は館山市洲崎に(今でも)あり、道のりにして14~15km。なるほど、うなずける距離ですね。

軒下で野宿だったのか、その軒もなかったのか、それとも近所で一夜の宿を求めることができたのか…そのあたりは不明です。

白浜下立松原神社 由緒

白浜下立松原神社 鳥居

白浜下立松原神社 趣のある拝殿と狛犬

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下立松原神社

(所在地)

千葉県南房総市白浜町滝口1728

(Webサイト)なし

(参考サイト)

館山市立博物館 滝口下立松原神社<白浜>

玄松子の記憶 下立松原神社 

下立松原神社(南房総市白浜町) 房総タウン.com

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(3)頼朝の隠れ岩屋(白浜野島)

(2)で白浜町の下立松原神社まで足を運んだ頼朝。

今は野島埼灯台が立つ野島(当時の呼び名)の地にもやってきたようです。

野島に祀(まつ)られている弁天堂の傍らの岩に「野島山」と刻んで武運再興の願掛けをしたところ、突然雨が降り出したので近くの岩屋に入って雨宿りしました。

その岩屋が「頼朝の隠れ岩屋」。灯台から少し下りたところに残されています。

今も昔も眺めの美しい場所のこと。頼朝はその景色を楽しんで、従者をねぎらい、酒盛りをしたと伝えられています。

野島埼灯台から少し下りたところにあります

岩屋の入り口 頼朝がここで雨宿りしたと言われています

伝説の岩屋は今は大蛸の海神が祀(まつ)られています

(4)千倉町下立松原神社(しもたてまつばらじんじゃ)

(2)は白浜町の下立松原神社でしたが、下立松原神社はもう1か所、千倉町牧田にもあります。樹齢600年を超える杉の大木が見事。

(1)でも登場した丸五郎信俊(まる・の・ごろう・のぶとし)が、頼朝を戦勝祈願のために 案内したと言われています。

ところで、この神社には鳥居がありません。 頼朝が参詣する際、敗戦の身をはばかって鳥居をさけて脇から入ろうとしたところ、地元の住民が鳥居を取り除いて招き入れたとされています。以来鳥居は作られず、今日に至っているとのこと。

また、頼朝の大般若経(だいはんにゃきょう)を埋めたとされる経塚(きょうづか)もあります。

頼朝が征夷大将軍になって鎌倉幕府を開いた後、自らが書き写した大般若経600巻を奉納しました。

大切に伝えられてきましたが500年ほど経ったところで傷みがひどくなったため石函に入れて埋め、経塚が建てられました。

千倉下立松原神社 鳥居に代わる(?)立派な杉の木

頼朝が書写したお経が埋められています

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下立松原神社

(所在地)

千葉県南房総市千倉町牧田193

館山市立博物館 滝口下立松原神社<白浜> 

玄松子の記憶 下立松原神社 

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(5)安馬谷(あんばや)

南房総市丸山町に安馬谷という地名があります。 この地名が頼朝由来なのです。

頼朝が(4)の下立松原神社に参詣した際、この地区の住民が頼朝に鞍をつけた馬を提供したため、この地名がつけられたと伝えられています。

敗戦の将として流れてきた当時の頼朝はさぞ、勇気づけられたことでしょう。

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南房総市ホームページ 安馬谷(あんばや)の地名 

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(6)熊野神社・旗掛け松 (和田町黒岩)

和田町黒岩に大きく、そして枝が垂れ下がるように伸びた立派な松の木がありました。

どれくらい大きかったかといえば、その根本が大人3人で手をつながないと囲めなかったほど。

近くの熊野神社に参詣した頼朝はその見事な松の木に感動し、源氏再興を祈念して白旗(源氏の旗印)を掲げて決意を新たにした、と言われています。

残念ながら旗掛け松はどこにも残っていません。 太平洋戦争(大東亜戦争)の際、伐採されてしまったそうです。

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南房総市ホームページ 旗掛(はたか)け松 

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房総半島南部全体にたくさん残っている源頼朝ゆかりの場所。 今回は南房総市内の6か所だけ、ご紹介しました。旅や散策のテーマにお役立てください。

 

 

あわみなこ

千葉県松戸市出身 長らく東京でOLをしていましたが、2014年に東京から南房総市へ移住。今は、パソコン個人指導、事務代行、ホームページの作成、クラウドソーシングなど、できることはなんでもやってサバイバル中。 「自分が自分のボスであること」をモットーに日々過ごしています。 ライターの仕事を通してこの地域はもちろん、世界中の人々とつながって生きていきたいと思っています。趣味はブログ、ヨガ、読書など。 (Webサイト) ◆南房総極楽日記 ~Good-by 東京 Go Go 和田町!~ http://minamiboso-country-life.com/ ◆あわみなこパソコンサポート http://awaminako.com/ ◆~今日も断酒天国~アルコール依存症ぴなこ「今日一日」のためのウェブサイト http://recovery-from-alcoholism.com/

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