都内でOLしていた女性が1人でUターン。果樹農家になりました!‐移住のきっかけ編‐

平成28年から「よぜむファーム」としてビワやイチジクの栽培と販売を行っている山木こずえさん。彼女の実家はビワ農家でしたが、両親が転職し、祖父が亡くなり、この家を手放すかもしれないという時期がありました。そんなとき「私がやります」と手を挙げたのが、山木さんでした。

よぜむファーム山木さん

香りのいいイチジクの葉を1枚、配送ボックスに入れています。お茶やフレグランスとして利用可能。

 

先生は両親。農業ほぼ未経験からのスタート

山木さんは小学校4年生までこの家で暮らし、その後親の転職で館山へと引っ越しました。大学卒業後は東京で就職し、仕事に婚活に旅行にと充実した日々を過ごしたので、移住の際にありがちな都会生活への心残りは無かったと言います。そんな彼女は、農業の経験はあったのでしょうか?

「母親の実家がビワ農家だったので、花もぎ・袋掛け・収穫など人手のいる主な作業はやったことがありました」。逆に言うと、その作業以外はやったことがないということ。

「祖父が亡くなってからUターンするまでの1年半は、週末南房総に来てビワの手入れをする2拠点生活を送っていました。耕運機や刈り払い機の使い方などを両親から教わりながら、木に登っての作業など少しずつ慣らしていきました」

 

よぜむファームのイチジク畑

イチジクを一つずつチェックしながら、食べごろのものを収穫している。

 

2足のワラジはむずかしい!?専業農家を目指す

「やります」と手を挙げたとき、農家になるつもりはなかったという山木さん。ただこの場を維持したいという思いと、ワークショップを開催するなどして、みんなで集まれる場にしたいという思いがあったそうです。

「実際にビワを整備していると、思った以上に大変でした。体も農作業に慣れていなかったので、疲れが残ったままビワ山に入って作業をしてもうまく進まず…。生活のために飲食店でのバイトもしていましたが、2足のワラジも大変だったので農業一本に絞ることにしました」

農業に専念するとなると、収入面からビワのほかにも何か栽培する必要がありました。「母親が植え始めたイチジクを拡大したけれど、特にイチジクが好きなわけではありませんでした。でも“ビオレソリエス”という品種の黒イチジクを食べたとき、めっちゃおいしくて衝撃を受けたのです。他の品種とは全くちがう、みずみずしいのにもっちりとした果肉はいくらでも食べてしまうおいしさでした」

ビオレソリエスをやりたい。そう思った山木さんは、第一人者から学ぶべく佐賀県にいる生産者に連絡を取り、訪ねて行きました。

よぜむファームのネグローネ

写真は赤いルビーのようなネグローネ。ビオレソリエスは「黒いダイヤ」とも言われている。

 

山木さんが購入するための苗を仕立ててもらい、翌年50本の苗が届きました。そこからイチジク農家としてもスタートを切ったよぜむファームですが、その後も着実に品種と本数を増やし、今では12品種ものイチジクを栽培しています。

次回は山木さんがどのように移住の準備を進めてきたのか、農家としてどのような一日を過ごしているのかを伺います。

【Information】

よぜむファーム:https://yozemu-farm.jimdofree.com/

道の駅 とみうら 枇杷倶楽部に出荷することも:http://www.biwakurabu.jp/

ジャムの販売もしています:https://ws.formzu.net/fgen/S27382738/

なべたゆかり

熊本生まれ、兵庫育ち。 国内・外を放浪したあと、2011年1月南房総に漂着。 築百年余りの古民家を改修しながら、犬、猫、ヤギとの生活を満喫中。 田んぼや畑だけでなく、イベント出店やライター業など、“暮らしから生まれる百の仕事をこなす”立派な百姓を目指して活動中。 ◆安房暮らしの日常ブログ https://awaawalife.com/ ◆インスタグラム https://www.instagram.com/awaawa_life/?hl=ja

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